1月7日 昭和天皇が崩御された日です。

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Yahoo!ブログ 
さくらの花びらさまの「日本人よ、誇りを持とう」〜輝かしい日本の発掘  
より転載させて頂きました。
この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/31401721.html


   【転載】ここから


常に国民とともに平和を祈られ、平和を願っておられた昭和天皇。1月7日を迎えて昭和天皇をお偲びする。

1月7日、昭和天皇が崩御された日であります。
大正から昭和と移る当時、世界と日本を取り巻く状況が混沌とする中、全国民の平安と世界の平和を願って「昭和」という元号がつけられました。
平和を祈り、平和への実現のために努め続けてこられたのが昭和天皇のご生涯ではなかったでしょうか。

国民が忘れてはならない昭和天皇の御製があります。それは昭和21年の正月に発表されたこの御製です。一度口にしてみるとこの御製への思いが心に伝わることでしょう。

ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ

昭和天皇の御製はたくさんあっても、このように国民に向かって「かくあれ」という強い要請をされたものはほとんどありません。
敗戦、そして占領。国民が不安と苦難の中、国民に何とかしっかりしてほしい、深い雪に覆われた厳しい状況でも、松は少しも色を変えないように、国民も日本人としての矜持と自信を失わないでほしい、とこの御製で呼びかけたのです。

この年は占領軍によって日本解体政策が次々強行されましたが、昭和天皇は翌昭和22年の正月にも、占領政策の嵐にも屈せずに日本人らしく堂々とあって欲しいと、国民にこのような御製で呼びかけました。

潮風の あらきにたふる 浜松の ををしきさまに ならへ人々

敗戦と占領という日本が重大な危機に直面しても、昭和天皇は、国民に望みを捨てず、力強く生きてほしい、と強く訴えかけておられたのです。・・・

昭和62年7月頃から昭和天皇は体調を崩されました。そのため宮内庁病院で検査を受けられたところ、十二指腸から小腸にかけて通過障害が発見されました。
侍医長たちが手術をすべきか検討したところ、9月に手術を受けて頂くことになりました。このことを陛下にご裁可頂くために侍医長と侍従長が御前に出ました。
陛下は「そうか」と一言だけ言われて頷かれましたが、「良宮(皇后)にはどうする」とお尋ねになりました。手術と聞いて皇后陛下がショックを受けることを気遣われたのです。侍医長と侍従長が皇后陛下にお話をすることになりました。

昭和64年1月7日早朝、昭和天皇が崩御されました。

昭和天皇の御称号は迪宮(みちのみや)と命名され、迪宮裕仁親王。
この字には「広く大きな心で国を治め、人類の幸せのために尽くすように」という意味が籠められていたのです。


          【転載】ここまで


これより数年前に他界した大正生まれの祖母が、昭和天皇のエピソードをまだ小さな自分に話してくれていたことも同時に思いだします。
敗戦後の苦労話も沢山聞きましたが、天皇皇后陛下を悪く言ったり、苦労があった事への恨みのような話はいっさいありませんでした。
戦後の日本しか知らない私にも、本来の日本人のあり方を伝えようとしていた祖父母の気持ちがわかり始めたのは、昭和の最後、この頃だった気がします。


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