対馬のお祭りから朝鮮通信勅使行列と共に「アリラン」の名を追放しよう!

対馬「アリラン祭」名称変更に「ヒゲの隊長」支持表明
       アメーバニュース/政治・社会 2013年4月17日
       http://yukan-news.ameba.jp/20130418-224/より

 長崎県対馬市の観音寺から観世音菩薩坐像が盗まれた問題を受け、対馬市商工会青年部厳原(いづはら)支部が、対馬市の最大のイベントである『厳原港まつり対馬アリラン祭』の名称から『アリラン』を外すことを検討していることが報じられた。

 盗まれた仏像は、韓国の裁判所が返還差し止めの仮処分を決めており、報道によると住民の寄付でまかなわれている同祭には、「韓国との交流イベントに金を出したくない」との声が寄せられていたとのこと。また、同祭のメーンイベントでもある「朝鮮通信使行列」も中止されることになったことが伝えられた。

 この祭は1980年に『厳原港まつり』として第1回目を開催。その後、韓国人が参加者の半数を占めるようになったことから、「厳原港まつり対馬アリラン祭」に名称が変更され現在に至るのだが、「ヒゲの隊長」の愛称で知られる自民党の佐藤正久参議院議員(52)は2012年9月8日のツイッターで「対馬の『厳原港祭り』の名が『厳原港祭り・アリラン祭』(通称アリラン祭)と変えてしまった。対馬経済を維持するために韓国からの観光客誘致の苦肉の策という。辛かったという。昭和30年代には7万人の人口は現在は半分の3万5千人弱、年に約1千人が減。絶対に特定国境離島保全振興法が必要だ」と名称が変更されたことを嘆いていた。

 今回、名称から「アリラン」が外される可能性があることが報じられ、佐藤氏は「対馬の『厳原港まつりアリラン祭』から『アリラン祭』の文字が対馬自身の意向で消えるという。韓国の仏像未返還問題の影響だ。韓国からの観光客が減っても守るべきもっと大事なものがあるという事だ。支持!」とツイッターでエールを送っている。
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朝鮮半島にいくら近かろうが、対馬は「古事記」の建国神話には、最初に生まれた島々(「大八洲」)の1つとして、「日本書紀」の国産み神話のなかには「対馬洲」「対馬島」の表記で登場するれっきとした日本国の島です。
近年は増加する韓国人観光客と、仏像盗難の件に限らずその素行の悪さが度を増す一方です。
日本の島の経済です。日本人の手で支えていくことがまずは必要なのではないでしょうか。
グローバル化(韓国、中国を除く)が必要なら、先に日本人が行きたい場所にしたら良いと思います。
同じ九州大分県の別府温泉は韓国人を誘致したために、すっかり様変わりして日本人客が寄りつかなくなったといいます。
その後その方向性がまずかったことに気が付き、方針を変えて持ち直したという話です。

観光と言っても遠方からそう頻繁に行くことは難しいでしょう。
もう少し気軽にできる応援として、対馬から物産をお取り寄せする方法があります。
対馬の支援を呼びかけるウェブサイト対馬支援@wiki
http://www43.atwiki.jp/save_tsushima/pages/17.htmlでは海産物を始め、酒蔵などの紹介もあります。
また、「ふるさと納税」という方法で応援もできるとのことです。
国会議員に「防人新法」を呼びかけるのも良いでしょう。
国境対馬振興特別措置法案 - Wikipedia
韓国、中国の手から対馬を守ろうと活動するかたも増えてきているようです。
色々な形で遠くから近くから対馬を支えて国境の島を守りましょう。

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「厳原港まつり」で中止になった「朝鮮通信勅使行列」について最後に付け加えます。


ながさきのしま|長崎のしま紹介【対馬】|より

最大のイベントとされていた「朝鮮通信勅使」とは、日本にとってそれほど重要だったのか調べてみたところ...。
これなら中止はむしろ日韓両国のためにも良い事だと思えてきます。

日本の現在(危ない日本) 
【朝鮮通信使?朝貢団?】より引用

1607〜1811年までに計12回やって来た外交使節団
江戸図屏風(江戸時代に描かれた江戸の様子)

朝鮮通信使の部分を拡大

さらに拡大2(城に入る朝鮮通信使達)


この絵から分かる朝鮮通信使の真実

江戸の庶民達は朝鮮人を見世物のように見ている。
日本人と違う服を着た珍しい奴等が来たと思って見ていたのだろう。

2. 中央の赤い物がある部分に注目。
朝鮮通信使達が日本の将軍へ朝貢するための贈り物を出して準備している。虎の毛皮や陶器など

3. 朝鮮通信使達が城へ入る門に注目。裏門である。
江戸の城や大きな家には門が多くあり、人の位により、入場できる門が変わる。
下の大きな門を見て欲しい。位の高い人はこのような門から入る事になる。

朝鮮通信使達は日本へ朝貢に来る下の民族として日本からの扱いを受けていた。
朝鮮通信使達が城に入っている門が裏門である事を見れば理解できる。

日本の一部の儒教の関係者だけが朝鮮通信使に寄って行った。
しかし他の日本人達は見世物として見ていた。
韓国人は朝鮮通信使に多くの日本人達が「文化を教えてくれ!」と
近寄って来たと妄言を言うが、大きな間違いである。

朝鮮通信使は日本へ朝貢するために来ていたのである。
日本の将軍が交代する毎に、贈り物を持って、
何度も長い距離を歩いて、朝鮮と江戸を往復した事を考えれば理解できる。

ウリナラ韓国人のことです。
対馬での「朝鮮通信勅使行列」を「日本に文化を教えてやった自分達の祖先」と信じていたのだろうと思うと「お気の毒さま」と言う気さえ起きません。
ちなみに、正門はこんな門構えです。

江戸城正門 西の丸大手門 江戸時代から現存する建物で、現在は皇居正門となっている
江戸城 西の丸大手門 - 日本の城 写真集より