喇叭手 木口小平と死後硬直【転載】

「天晴!にっぽん」
このブログのタイトルです。
これをテーマにしたカテゴリーをあらたに設けました。

もともとブログを始めたのは、昨年くにしおもほゆ - Yahoo!ブログ(〜羅針盤を見誤ることなかれ)のある記事にコメントを書き込んだことがきっかけになりました。
それまでネット上の情報は読むのが専らで、書き込みはもとより面識の無い人とネット上で会話などしたこともありませんでした。
思い切って書いてみたコメントに、管理人のwatch_compassさまが親切なお返事とアドバイスを下さったのが、このブログが今に至るまでの最初の出来事です。
パソコンの使い方もおぼつかないのですが、色々な情報やご指導を頂いたおかげで少しづつエントリーのアップも出来るようになってきたところです。
「これから勉強した事を載せていこう」と思いブログを始めたことを今後も忘れないように、と同時に「日本は素晴らしい国なんだ」と、海外に住んで初めて見えてきた事や発見も此所に上げていくことにしました。

その一つ目に、このカテゴリーとこのブログの生みの親ともいえる、管理人のお師匠さん(と勝手に思っている)のエントリーを掲載させていただきます。

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watch_compassさまの
喇叭手 木口小平と死後硬直 - くにしおもほゆ - Yahoo!ブログより

   【転載】ここから

  喇叭手 木口小平と死後硬直

まずは木口小平(きぐちこへい)という陸軍の兵士を一人でも多くの人に知って頂きたい。
清国軍の脅威にさらされた朝鮮政府の要請を受けて出兵した日清戦争において、喇叭手(ラッパ手)として従軍し、戦死した二等兵である。


当時の歩兵は重い背嚢を背負い、長い銃を持ち、それだけでも大変なのに、喇叭を吹くことはわりと体力が要る。その状態で皆と一緒に突撃するのであるから大変なことである。
その喇叭手の木口が喇叭を口から離さない姿で戦死していたのである。



































戦死の状況はあまり詳しくは分かっていない。たまたま同日に二名の喇叭手の戦死があったので名前が別人と取り違えられていた程である。(のちに陸軍が名前を確認している)
即死だったとしたら、地面にどっと倒れる瞬間も喇叭を吹いたままだったということになる。
まだ被弾から絶命までの時間を苦しんだとしたら、その状態でも必死に喇叭を吹こうとしたことになる。
いづれにしても強靭な意思と責任感がなしえたことである。
だから修身の教科書にも載せられていた。


ところで昔に11PM(イレブン・ピーエム)というテレビ番組があって、出演して売れっ子になった大阪日赤病院の木崎という医師が、ラジオ番組にまで出演して「木口小平は単に死後硬直でラッパが口から離れなかっただけですよ」と話していたのを聞いたとき、私は「そんな馬鹿な!」と驚愕した。その驚きと怒りは今でも忘れない。
偉人や英雄はコケにして、否定することによって自分の価値を高める卑しい発言である。
まして彼の職業は医師である。
医学の基礎として死後硬直の知識を学び、職業としての経験を積んでいる筈なのに。


死後硬直は死後2時間たった頃から起こる筋肉の変化である。
死後硬直が起こったから、木口二等兵は偶然に英雄に奉られてしまったのだろうか。
戦死の詳しい情況がどうであれ、そんな馬鹿なことはない。
「自分は喇叭を吹くのだ!」というすさまじいまでの意思の結果の筈である。


私は自作記事はアップする前に常にウィキペディアなどで確認します。
残念なことに「木口小平」の項でも死後硬直論が通っているし、「死後硬直」の項の「関連項目」に至ってはこのように記載されていました。
「木口小平 - 急激な死後硬直が原因で英雄とされた喇叭手」
死後硬直は彼にかぎって特別に急激に発現したと言いたいのだろうか。
まるで冷静な分析のような仮面を被ったエセ分析である。
左翼雑誌「文藝春秋」 のかなり昔の記事が発信元であるようだ。
「木口小平」とキーワードを入れると、そのかなりの部分で「死後硬直」が出てくる。

   【転載】ここまで

サヨクの目の敵にされる教育勅語や修身のような戦前の教育。
これらがどれほど日本人を日本人たらしめていたのか、祖父母をはじめ親戚中の年寄りに可愛がられて育った私には想像がつきます。

お国を出てみると、自国の良さを見いだせない者には他国の良い部分も知ることはできないのではないか、と強く感じます。
日本の紅葉の美しさを見ながら育つからこそ、メープルリーフの葉の色が日に日に変わってゆく、素晴らしい景色を愛でることができると思うのです。
見たことも無い花を目にしたときに感動できる感覚も、豊かな文化の日本で過ごしてきたからこそ養えたのかもしれないと、ハッとすることがあります。

私は残念ながら戦後教育しか知りませんが、否定的ではない「かつて日本はこうだった」を学ぶことは自分次第です。
日本には「昔は良かった」も「日本は昔酷い国だった」も必要ありません。
敗戦後、様々な形で歪められてきたけれども、本当の日本の姿が見直されていることに、(文化、歴史、教育や日本人の精神などもすべて含め)この先うんと注目していきたいと思います。