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魏志倭人伝  対馬が日本領である確固たる証拠 その2 【転載】

“ 彼らの妄言を打破するためには正しい歴史知識を持つ事。
彼らがふざけた事を言ってきたら
「対馬が朝鮮領だった時はいつだ?証拠を示してみろ」
と反論する事。
さらに
「お前の主張が真実なら魏志倭人伝はすべて嘘か?」
と問い詰める必要があります。”

日本の領土や文化を事も無げに自分らのものと言い始める民族です。
はっきりと間違っていると分からせましょう。

Yahoo!ブログ 鳳山さまの
「鳳山雑記帳」より転載させて頂きました。
この記事のURL:http://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/54314843.html

   【転載】ここから

倭人(わじん)は帯方(たいほう)の東南大海の中に在り、山島に依(よ)りて国邑(こくゆう)を為(な)す。旧(もと)百余国。漢の時朝見(ちょうけん)する者有り。今、使訳(しやく)通ずる所三十国。
 郡より倭に至るには、海岸に循(したが)って水行し、韓(かん)国を歴(へ)て、乍(あるい)は南し乍は東し、其の北岸狗邪韓(くやかん)国に到(いた)る七千余里。
始めて一海を度(わた)る千余里、対馬(つしま)国に至る。
其の大官を卑狗(ひこ)と曰(い)ひ、副を卑奴母離(ひなもり)と曰ふ。居る所絶島、方四百余里可(ばか)り。
土地は山険(けわ)しく、深林多く、道路は禽鹿(きんろく)の径(みち)の如(ごと)し。千余戸有り。
良田無く、海物を食して自活し、船に乗りて南北に市糴(してき)す。

又(また)南一海を渡る千余里、名づけて瀚海(かんかい)と曰ふ。
一大〔一支(いき)〕国に至る。官を亦(また)卑狗と曰ひ、副を卑奴母離と曰ふ。方三百里可り。
竹木・叢林(そうりん)多く、三千許(ばか)りの家有り。差々(やや)田地有り、田を耕せども猶(なお)食するに足らず、亦南北に市糴す。
 又一海を渡る千余里、末盧(まつろ)国に至る。四千余戸有り。山海に浜(そ)ひて居る。
草木茂盛(もせい)し、行くに前人(ぜんじん)を見ず。好んで魚鰒(ぎょふく)を捕へ、水深浅と無く、皆沈没して之(これ)を取る。
東南陸行五百里にして、伊都(いと)国に到る。官を爾支(にき)と曰ひ、副を泄謨觚(せもこ)・柄渠觚(へくこ)と曰ふ。千余戸有り。
世々(よよ)王有るも、皆女王国に統属す。郡使(ぐんし)の往来常に駐(とど)まる所なり。
東南奴(な)国に至る百里。官を 兕馬觚(しまこ)と曰ひ、副を卑奴母離と曰ふ。二万余戸有り。東行不弥(ふみ)国に至る百里。
官を多模(たも)と曰ひ、副を卑奴母離と曰ふ。千余家有り。
 南、投馬(とうま)国に至る水行二十日。官を弥弥(みみ)と曰ひ、副を弥弥那利(みみなり)と曰ふ。五万余戸可り。
南、邪馬壹(やまい)〔台(たい)〕国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月。官に伊支馬(いきま)有り、次を弥馬升(みましょう)と曰ひ、次を弥馬獲支(みまかくき)と曰ひ、次を奴佳鞮(なかてい)と曰ふ。七万余戸可り。
女王国より以北、其の戸数道里は略載す可(べ)きも、其の余の旁国(ぼうこく)は遠絶にして得て詳(つまびら)かにす可からず。
 次に斯馬(しま)国有り、次に巳百支(しおき)国有り、次に伊邪(いや)国有り、次に都支(とき)国有り、次に弥奴(みな)国有り、次に好古都(こうこと)国有り、次に不呼(ふこ)国有り、次に姐奴(そな)国有り、次に対蘇(つそ)国有り、次に蘇奴(そな)国有り、次に呼邑(こお)国有り、次に華奴蘇奴(かなそな)国有り、次に鬼(き)国有り、次に為吾(いご)国有り、次に鬼奴(きな)国有り、次に邪馬(やま)国有り、次に躬臣(くし)国有り、次に巴利(はり)国有り、次に支惟(きい)国有り、次に烏奴(うな)国有り、次に奴(な)国有り。
此(こ)れ女王の境界の尽くる所なり。



 上記は魏志倭人伝(正式には三国志魏書東夷伝倭人条)の一部抜粋(読み下し文)です。少し長いですが証拠のために載せました。

 読んで頂けば分かる通り、完全に対馬を日本の一部だと断定してますね。いや地理的に日本に近いだけで朝鮮人が住んでいたと反論する者もいるでしょうが、そもそも魏志倭人伝当時朝鮮人は存在しません。私の過去記事でも検証していますが高句麗と百済はツングース系扶余族の王朝。新羅は民族系統不明ですがおそらく扶余系と支那大陸からの亡命者、そしてなんと日本系(そういう神話がある)民族で形成された国家だったと推定します。

 さらにこれも過去記事ですが稲作が支那江南地方から海流に乗って伝わった時、九州北部と朝鮮半島南部には稲作を行う同じ民族、ありていに言えば日本人が住んでいたと論証しています。私は日本史で言う任那日本府とはまさに日本から渡った日本人が稲作を行っていた地方ではなかったかと睨んでいます。


 朝鮮民族が形成されたのは新羅後期。というより高麗初期ではなかったかと思います。当時の極東アジアは動乱期で朝鮮人の前身といわれるツングース系のエベンキ族はこの時民族大移動の流れに乗って半島に渡り半島原住の民族と混血して(あるいは滅ぼして)現在の朝鮮人が形作られたのだと考えます。おそらく新羅から高麗に王朝が交代した裏には民族移動に関わる歴史の闇があったような気がしてなりません。

 歴史上対馬が朝鮮領だった時は一度もありません。これはちょっと文献を調べれば分かる事。なのに対馬が韓国領などとよく妄言を吐けるものです。私は逆にその厚顔無恥さに感心しますね。そもそも支那の半万年属国だった国がどうして他国領を支配できるのでしょう?寝言は死んでから言え!


 彼らの妄言を打破するためには正しい歴史知識を持つ事。彼らがふざけた事を言ってきたら「対馬が朝鮮領だった時はいつだ?証拠を示してみろ」と反論する事。さらに「お前の主張が真実なら魏志倭人伝はすべて嘘か?」と問い詰める必要があります。

 おそらく答えに窮した彼らは火病する事でしょう。要するに嘘八百の言いがかりなんです。日本人の多くが正しい歴史知識を持てば朝鮮人の嘘を指摘し逆襲する事が出来ます。その意味では「知らない事が罪」だとも言えますね。

   【転載】ここまで