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インドご訪問の天皇皇后両陛下

 ニューデリー、 ガンジー廟

https://totteoki.jtb.co.jp/detail.asp?articleid=30534からお借りしました。

YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20120905-144176/news/20131202-OYT1T01139.htm?from=blist 2013年12月2日 より

 天皇、皇后両陛下がガンジー廟に供花


ガンジー廟を訪れ、碑に花びらをまかれる天皇、皇后両陛下(2日、インド・ニューデリーで)=代表撮影

【ニューデリー=小松夏樹】インド訪問中の天皇、皇后両陛下は2日午前、ニューデリーの大統領官邸で公式歓迎式典に臨んだ後、インド建国の父、マハトマ・ガンジーが火葬された「ラージガート(ガンジー廟)」に供花された。

 ガンジーが好きだった、神に祈りをささげる音楽が流れる中、両陛下は、慣習にのっとり靴を脱いで廟の石碑前に進み、花輪をささげて黙とう。バラの花びらを両手に持ち、石碑の上に2回ずつ静かにまかれた。記念記帳では「明仁」「美智子」と、漢字と英語でサインされた。

 1948年に暗殺されたガンジーの遺灰はヒンズー教の伝統に従い川に流された。石碑はガンジーを象徴する記念碑で、国内外から多数の参拝者が訪れる。

 午後には、陛下が賓客のゲストハウスでシン首相と会見、その後、両陛下でネルー大学を訪問された。同大学では、日本語学科の学生による日本語での討論を聞き、懇談された。

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天皇皇后両陛下は30日インドの首都ニューデリーに到着され、シン首相夫妻やクルシード外相らが出迎えたそうですが、同国で首相と外相がともに出迎えるのは異例の歓待だそうです。

2日夜はムカジー大統領主催の晩餐会に出席されました。
この席での天皇陛下のあいさつ文が同サイトに出ていたので転載します。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131203-OYT1T00144.htm?from=ylist より

   天皇陛下のあいさつ全文(現地時間2日夜)

 日印国交樹立六十周年を迎えた機会に、大統領閣下の御招待により、皇后と共に貴国を訪問できましたことを、誠に喜ばしく思います。今夕は私どものために晩餐会を催してくださり、また、ただ今は大統領閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き、深く感謝いたします。

 私は、五十三年前、昭和天皇の名代として、プラサド大統領の我が国御訪問に対する答訪として皇太子妃と共に初めて貴国を訪問いたしました。プラサド大統領、ラダクリシュナン副大統領、ネルー首相より手厚いおもてなしを頂き、またネルー首相により開かれたレッド・フォートにおけるデリー市民の大会を始めとして、訪れた各地において人々から温かく迎えられたことが懐かしく思い起こされます。皇后はかつて学生時代にネルー首相の「父が子に語る世界歴史」に出会っており、この旅でネルー首相と度々席を共にしたことは、今も忘れ難い思い出となっていることと思います。

 貴国と我が国とは地理的に離れ、古い時代には両国の間で人々の交流はほとんどなかったように考えられます。しかし、貴国で成立した仏教は六世紀には朝鮮半島の百済から我が国に伝えられ、八世紀には奈良の都には幾つもの寺院が建立され、仏教に対する信仰は盛んになりました。八世紀には、はるばるインドから日本を訪れた僧菩提(ぼだい)僊那(せんな)が、孝謙天皇、聖武上皇、光明皇太后の見守る中で、奈良の大仏の開眼供養に開眼導師を務めたことが知られています。この時に大仏のお目を入れるために使われた筆は今なお正倉院の宝物の中に伝えられています。

 古代におけるこのような例を除き、次に貴国の人々と我が国の人々との間で交流が盛んに行われるようになるのは、我が国が二百年以上続けてきた鎖国政策を改め、諸外国と国交を開くことにした十九世紀半ば以降のことです。第二次世界大戦前、我が国を訪れた貴国の詩人タゴールは、我が国の人々に深い敬意をもって迎えられました。私どもは先の訪問で、コルカタのタゴールハウスを訪問しましたが、タゴールが作詞作曲したインドの国歌がインドの楽器の伴奏で美しく歌われるのを聞いたことを、記憶にとどめています。

 前回の貴国訪問の旅はこのコルカタ訪問に始まり、ムンバイ、デリー、アグラ、ブタガヤ、パトナ等、かなり広い地域にわたりました。私どもは二人ともまだ二十代半ばの若さであり、この国の深さを十分に知るには程遠くありましたが、この旅で当時のプラサド大統領始め、独立当時からの国の指導者たちと接し、この国の来し方を学ぶとともに、この方々の民主主義、国際主義、さらには非暴力を旨としたガンジーの思想の流れをくむ平和主義を理想とする国造りへの高い志に触れたことは、今日もなお私どもの中に強い印象として刻まれています。

 この度の旅行では、前回行くことのかなわなかったインド南部のチェンナイを訪れます。インドの多様性を知る上で、更なる経験を持つこの機会を楽しみにしています。

 終わりになりましたが、貴国議会が年ごとの八月、我が国の原爆犠牲者に対し、追悼の意を表してくださることに対し、国を代表し、とりわけ犠牲者の遺族の心を酌み、心から感謝の意を表します。

 この度の私どもの訪問が、両国国民の相互理解を更に深め、信頼と友情の絆(きずな)を一層強める一助となることを願いつつ、ここに大統領閣下並びに令嬢の末永い御健勝と、貴国国民の幸せを祈り、杯を挙げたいと思います。
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天皇陛下のお言葉にも出てきたインドという国の「深さ」には、とても引きつけられるものがあります。
もともと魅力あふれるインド。親日国でもあるとのことで、いっそう興味が深まります。


先日、外務省のHPを読んでいたところ、たまたま「最近のインド情勢と日印関係」という項目があるのをみつけました。
平成20年12月と、少し古い情報です。
長いので気になった部分の一部を引用します。

外務省: 最近のインド情勢と日印関係より

(6)人・文化の交流

人の交流
 日印間の人の交流は未だ限定的である。インドから日本への留学生数は2000年度の203人から2006年度には525人へと増加しているが、中国からの約7.5万人、韓国からの約1万6000人に比べると極端に少なく、日本への留学生総数に占める割合は約0.3%に過ぎない。
また、旅行者等の訪問者数も少なく、2005年の日本からインドへの訪問者数は約10万3000人(日本人海外訪問者数の約0.6%)、インドから日本への訪問者数は約5万8600人(日本への訪問者数全体の約0.9%)となっている。
人の交流拡大は二国間関係の基礎をより強固にするものであり、2005年4月の小泉総理訪印に際して、インドにおける日本語教育拡充に向けて協力していくこと、JETプログラム等を活用し、若い世代の交流を奨励していくこと等が合意された。
また、2006年1月の麻生外務大臣訪印に際して、日本語、技術、若者等の分野で3年間に4,000人の交流を目指す「麻生プログラム」が発表された。
2006年12月のマンモハン・シン首相訪日の際に、3年間で5,000人の若者等の交流を目指して「麻生プログラム」を拡充すること、インドにおける日本語教育の促進、JETプログラムの拡大等を内容とする「未来への投資イニシアティブ」が発表された。
また、2007年8月の安倍総理訪印に際して、今後5年間に年間500人程度のインド人青少年(うち100人は日本語学習者、若手日本語教師)を日本に招聘することが合意された。

地方自治体の交流
 これまで日印間の姉妹都市は横浜市とムンバイ市のみであったが、日本の地方自治体もインドとの協力関係構築に関心を示しており、2005年以降、岡山県、福岡県、福岡市が大規模なミッションをインドに派遣した。
この結果、岡山県とマハラシュトラ州プーネ市、マハラシュトラ州ピンプリチンチワッド市との間で新たな姉妹都市提携が結ばれた。
また、2006年7月には広島県三次市とIT新興都市として注目を集めているハイデラバード市の間で姉妹都市提携が結ばれた。
2007年3月には福岡県とデリー準州が友好交流協定に署名した。

文化の交流
 2007年は日印文化協力協定締結50周年であり、これを記念し、2007年を通じて「インドにおける日本年」、「日本におけるインド祭」の各種事業が実施された。

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どこかの反日国と無意味な交流・友好を深めるより、インドのような国との交流を大いに期待します。

そこでもう少し調べてみると、NPO法人日印交流を盛り上げる会という会があることが分かりました。

昨年2012年は日印国交樹立60周年ということで、両国で記念催事が開催され、日本の能がニューデリーとバンガロールで紹介されたそうです。

インドでの観世流能公演より

   日印国交樹立60周年記念事業@インド
観世流二十六世宗家・観世清和さん率いる皆さんによる公演が、
ニューデリー8月24日、バンガロール8月27日に開催されました。

   インドでの観世流能公演
昨年、新潟県十日町市の懐メロ愛好会(フルバンド)とチャダさんとの交流がきっかけとなり、インドで初めての本格的演歌3公演が実現しました。東日本大震災後でもあり、募金活動が難しい中、現地の日本大使館から来年の60周年事業への協力を熱望され、盛り上げる会としてはインドでの事業を計画しました。日印両国間で精神的な核となる事業としてインドでの観世流能公演、日本での東大寺、それぞれに観世清和家元26世、ワシフディン・ダーガルドゥルパッド20代を考え、交流年の文化的目玉事業として、この8月実現しました。観世流能公演は総勢22名、8月24日FIICI(デリー)27日州知事公邸グラスハウス(バンガロール)、FICCIは650名、グラスハウスは915名で大成功しました。日本人なら一度は東大寺を訪れたらいいと思いますが、同様にこのような能やドゥルパッドは一度は見たり聞いたりしてもらいたいものです。そのようなことが実現できれば、優れた伝統は継続され、発展していきます。


http://www.youtube.com/watch?v=SwR69JomZl0

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長くなるので詳しく書きませんが、日本では現在、反日国家である支那、南鮮との姉妹都市の提携を結んでいる自治体が数多く存在します。一体どんな意味があるというのでしょうか。
また姉妹都市提携に、どれほどの住民が気が付いているのか、それも問題です。
「交流」の名の下に他国に土足で上がり込み、日本を廃退に導くような国の自治体との提携は必要ないどころか要注意です。

それよりも、日本の本来の姿を理解し承知している国々との交流を盛り上げていくことこそ必要だと思います。

産経ニュース『産経抄』からインドと日本に関するコラムを紹介して締めくくります。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/131201/edc13120103090000-n1.htm より

   12月1日

 インド代表の東京裁判判事として、日本人被告全員の無罪を主張したことで知られるパール博士は、裁判後の昭和27年にも来日している。このとき日本の教科書を見て嘆いたという。
「日本は侵略戦争を行った」と書かれていたからである。

 ▼産経新聞社『教科書が教えない歴史』によれば、博士は「子供たちが歪(ゆが)められた罪悪感を背負って卑屈、荒廃に流されていくのを、見過ごすわけにはいかない」と訴えた。
こんなに早くから日本の歴史教育の問題点を見抜いた外国の識者がいたとは、驚くべきことだ。

 ▼パール博士だけではない。恐らく戦前からの日本の歴史を日本人以上に正当に評価し、好意を寄せてくれたのはインドの人々だ。
まだ占領下にあった昭和24年には、東京の子供たちの願いを聞いてネール首相がゾウの「インディラ」を上野動物園にプレゼントした。

 ▼昭和35年、皇太子・同妃時代の天皇、皇后両陛下がインドを訪問されたとき、そのネール首相はこう演説した。
「日本の政策には同意できたもの、できなかったものもあったが、つねにわれわれは日本と日本国民、その美徳を尊敬してきた。
日本は偉大である」。

 ▼そのインドを天皇、皇后両陛下が公式訪問されている。
長年のインドからの招請に応えたもので、両陛下にとり35年のとき以来53年ぶりのご再訪である。
天皇陛下は訪問にあたり「インドへの理解を更に深める機会となることを期待しています」というご感想を発表された。

 ▼ご高齢にかかわらず国際親善に尽くされる両陛下に、ただただ頭が下がるばかりである。
ゆったりとご旅行いただきたい。
同時に国民としてはこの機に、パール博士をはじめ他に例を見ないインドとの交流の歴史を思い起こしたいものだ。