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宮司のうむい〜沖縄県護国神社HPより

戦没者ご遺骨の帰還事業は「国の責務」 - 天晴!にっぽん
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前回のエントリーでご紹介した、あるホームページより
無断転載なので削除する可能性がありますが、その際は前回エントリー中にリンクを貼る形にするつもりです。
その間、まだこのような事実を知らない方々の、少しでも多くの目に止まることを願って掲載します。


ご祈願、ご祈祷、地鎮祭は、沖縄県護国神社より

http://www.okinawa-gokoku.jp/detail.jsp?id=22283&menuid=6578&funcid=2
   〜宮司のうむい〜

   「慰霊」と反戦

                 沖縄県護国神社
                   宮司  伊 藤 陽 夫


沖縄には今、まだ四千柱近くの遺骨がガマ(洞窟)や土中に埋まっているといわれています。
つい最近も新都心開発の土中から百七十余柱が収納されました。毎年摩文仁が丘の国立墓苑納骨堂に約百柱が納骨されていますが、今年は何倍かになりました。
数年前筆者が、ある遺骨収集団に加わったとき県の福祉援護課で、行政末端の町村からあがってくる報告調査用紙を見せられながら、未収遺骨の数は「0」となっていることを知らされ驚いたことがあります。
従って遺骨収集作業に関しては予算が取れない。
公的作業を実施するわけにもいかない。畢竟有志のボランティアの苦闘的掘削作業に俟つことになっているということでありました。
先記のような都市開発で発見されると公的に捗(はかど)られる(沖縄ではホームレス就労対策になった)ことになりますが、そうでない限り私的に毎年、数団体の発掘作業の奉仕に頼られています。
そして先にも書きましたように各種遺骨収集奉仕団体によって年間約百柱の遺骨が掘り出されて、財団法人平和祈念財団の奉安室に納められます。
そして三月初旬、厚生省からのお役人立ち会いのもとに納骨式なるものが行われて、摩文仁が丘の国立墓苑に納骨されています。
悲しいかな、勿論無宗教儀式によってです。
従って遺骨によっては、地中から出されて納骨される間、手厚い宗教的慰霊顕彰の扱いを受けないままになります。
それ以後も。神主も僧侶も関与することなく、これでよいのでしょうか。
三年前筆者らの作業中にも頭骸骨とほぼ全身に近い遺骸と共に万年筆が出てきて、「土井」と読み取れる名前が確認できました。
資料をたぐってついに御遺族に通知ができました。北海道のご遺族なる弟さんと姪御さんを発掘現場までご案内し、焼香や本人唱導の読経や唱名にもおつきあいをさせていただきました。
御霊もさぞやお喜びであろうことを実感させられました。遺骸発見の作業から半年は経っていましたが、ふしぎにその洞窟の地面には水たまりができていました。
咄嗟に皇后陛下の、つぎの御歌が私の頭をよぎりました。


慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ


これは平成六年硫黄島に天皇陛下と行幸啓の砌にお詠みになったものですが、「慰霊」地と 詠まれていたので心にのこっていました。因みにそのときの天皇陛下の御製は


 精魂を込め戦ひし人未(いま)だ地下に眠りて島は悲しき


でありました。この「島」を沖縄にひきよせて大御心を仰いで感慨にふけりました。
その感動をある会合で揚々とスピーチしたところ、隣席の御仁が立ち上がって「我々はそんなことには関心がない。
ましてや日本軍人のことなど」と辛辣な反発攻撃を食らいました。
冒頭でふれた沖縄県の援護課にあがってくる行政末端からの報告書に、未収遺骨の数が「0」であることの裏側の実情を知らされる思いがしました。
さて我が沖縄県護国神社には、大東亜戦争末期に全国から派兵されてこの地で散華した御霊約六万八千柱が祀られています。沖縄県軍属者はじめ特記すべきは一般県民も含めて約十一万柱も祀られています。
昭和十一年に招魂社として日清日露戦争以来の英霊を奉斎して、今は先の大戦の犠牲者を加え約十八万柱の御霊をお祀りしています。
それらの御霊たちは一体となっていまや「護国の大神」としてご本殿のご神体に鎮座されています。
詳論は控えますが、当神社において「慰霊」の限りを尽くさせていただいています。
そして御霊たちは天翔(あまかけ)り国翔(くにかけ)り国の安泰を護って下さっているのです。
いみじくも


海陸(うみくが)のいづへをしらず姿なきあまたの御霊(みたま)國(くに)護(まも)るらむ



と美智子皇后さまがお詠みくださって(平成八年の終戦記念日に因んで)いますように、どこかしことなく今も国を護って下さっています。

しかしここ沖縄は、戦後占領下二十七年の久しき間、戦勝国米軍の洗脳教育とマスコミ操作が功を奏して、今日もなお教育界とマスコミ・言論界に引き継がれた戦争観があります。
客観的戦争観に啓かれないままの、籠の鳥のような沖縄県民の実情の証(あかし)として、先記の御仁の発言を聞き流すしかないのでしょうか。
その根の深さとこじれは尋常ではありません。
そのことは数多くの論著で明らかでありますし、代表的に元知事、元参議院議員の太田昌秀氏の数々の著書が雄弁に語ってくれています。最近も佐藤優氏との共著『徹底討論・沖縄の未来』であからさまにまくし立てていらっしゃる。いちいち引用に及ばないほど周知のことで、要するに氏は、「侵略」という悪事を働いた暴虐の旧軍国日本によって穏やかな南国琉球列島が無惨にも苛烈な戦争に巻き込まれたという「恨み」をもっておられます。
氏自身も鉄血勤皇隊に組み込まれ激戦奮闘下九死に一生を得て、戦後は反戦運動に挺身してこられました。戦争は悪逆非道であり、それを避けねばならないという説得が、日本軍への「恨み」によって綴られています。そして氏は反戦平和運動を以て英霊への「慰霊」と考えておられます。
氏の「恨み」も象徴するようにその根の深さは尋常ではないのであります。
筆者は平成十四年何度目かの来島の折、ガマ(洞窟)の中で然るべき知識人の方々の案内を受けまた。そのとき大戦末期の地獄絵図の如き凄惨なる県民の断末魔の阿鼻叫喚をきかされるような思いをしました。浮かばれない御霊たちの「恨み」を肌で感じました。
そのとき「慰霊」の巡礼に来させてもらおうとの思いがつのりました。
これらの御霊たちが浮かばれなければ日本の国も浮かばれないとも思いました。
私如き一人が・・・しかし櫂より始めよで飛び込んできまして、幸いにも今は、沖縄県護国神社の宮司として日々のお勤め、まつりごとで所期の思いを達しつつあります。
が、いま新しく課題を感じ始めています。それは生きて恨みをもっている生霊(いきりょう)の方々のルサンチマンを如何にして解消してあげればよいか、英霊・御祭神にお仕えしながら神智を得ようとしております。

(H.22.5.7)