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明治時代、人種差別撤廃を世界に訴えたのが日本だった。

和歌山県太地町で400年以上前から続けられているイルカの追い込み漁を非人道的と懸念を表明した駐日米国大使が物議をかもしています。
この件を毎日新聞で読むとこうです。
http://mainichi.jp/select/news/20140124k0000e040190000c.html
一読すると客観的な記事に見えますが、次の部分がいただけません。
 〈記事から引用〉
テンプル大日本校のクリーブランド准教授(社会学)は「イルカ漁を取り上げることで、大使は他国からの懸念についてもっと配慮する必要があることを日本に伝えたかったのではないか」との見方を示す。


他国からの懸念と言っても、シーシェパードを支持するタイプの米国人の意見を代弁されても日本は配慮する必要があるというのでしょうか?
そんなことはありません。
また、非人道的という言葉をアメリカの公人が発する度に、その偽善と図々しさに目眩がしてきます。

大使がこの発信をしたのがツイッターだということです。
反論の一つもしてやろうとタイムラインを見に行ったところ、イルカ漁ツイートにさらに輪をかけた偽善ツイートを目にしてしまいました。

このツイートに何の問題があるの?という方も多いかと思います。
そこがこの手の偽善者にまんまと乗せられるワケなのです。

このツイートはキング牧師を引き合いに出していますね。
貼られているリンク先は1963年のキング牧師の有名な演説文です。

アメリカに奴隷として連れてこられ、南北戦争の後1865年に憲法上では開放されたはずの黒人です。
それなのに1960年代になってもなお、キング牧師をはじめとした人達の活動が必要だった国、それがアメリカ合衆国です。
第二次大戦後の朝鮮戦争の時でさえ、米軍で黒人と白人が同じ部隊を構成されることはありませんでした。
その他日常生活での人種分離法はよく知られるところです。
 
      

 〈参考〉
アフリカ系アメリカ人公民権運動 - Wikipedia

今日ではリベラル連中は、そう遠くない過去までアメリカがこんな国だったことは棚に上げ、他国に対して「非人道的」を連発します。
しかもアメリカ白人社会を代表する、同じキリスト教であるキング牧師は讃えても、ブラック・ムスリムとして活動したマルコム・Xを賛美するのは都合が悪いのでしょう。
その裏には戦勝国が日本に自分達の都合だけを飲ませたやり方というか、精神性が見え隠れしています。

余談ですが、コリアン・アメリカンもこの手法をパクって「人道的問題」を振りかざし、反日活動に明け暮れています。
かれらが米国での反日デモを、黒人のワシントン大行進(キング牧師の演説の日)になぞらえた趣旨のニュース記事をどこかで読んだことがあります。
趣味の悪い冗談みたいな話です。
コリアン・アメリカンは祖国での根強い黒人卑下を知らないのか何なのか...。

キング牧師に感謝するのは大変結構ですが、日本に在中する大使には、アメリカがバスに白人優先座席を設けていたよりも遥か昔、明治時代に日本が人種差別撤廃を(白人)世界に訴えていたことにも触れていただきたいものです。
それとも、知っていてもこのような事実は都合が悪いのでしょうか。

仮にアメリカは酷い国だったが反省して、今はこんなに素晴らしいと訴えているだけ、と受け止めるとするならば、日本はその何倍もの(連合国側からの視点での)反省をしているといえます。

毎日新聞がそれとなく記事に盛り込んだ「他国からの懸念についてもっと配慮する必要がある」
これはアメリカや植民地を持っていたヨーロッパの国なのではないでしょうか。

アメリカでは黒人大統領が誕生し、しかも二期目です。
ここだけ見るとアメリカは進歩したかに見えます。
白人ではないという観点からすると確かに差別は無くなった印象を受けます。
が、以前取り上げたように(終わりの始まり〜中国と中国贔屓のアメリカ人はどこへ向かう - 天晴!にっぽん
オバマ大統領の先祖は黒人奴隷ではありません。

本当に国としてのアメリカを見直すのは、元々の住人であるネイティブ・アメリカンや、奴隷として連れてこられた黒人の子孫からでも大統領が選ばれる時だと私は思います。

さて本題の、日本が人種差別撤廃を訴えたのは1919年、第一次世界大戦後、パリ講和会議の国際連盟委員会でのことです。
詳しい事を書こうと調べているうちに、転載のお許しをくださる大変勉強になるブログ記事があったので、丸ごとコピーさせていただきます。


えんだんじのブログ/日本復活に執念を燃やす男、えんだんじの話」さまからです。
元記事のURL: http://www.endanji.com/?p=199

   【転載】ここから

オバマ大統領誕生は、日本のおかげ。
By (4/12, 2009 at 8:10 AM) · Filed under 世界史

皆さんに一つ質問があります。
大東亜戦争の原因の一つにもなったものが、戦後国連で撤廃されたもの、それは何でしょうか?

それは人種差別撤廃です。敗戦から20年後の1965年に国連で「あらゆる形態の人種差別の撤廃」に関する国際条約が結ばれました。こうして人種平等は、世界中の人々の常識になりました。
戦前までは、白人国家の政府高官たちでさえ公式に有色人種に対する差別的発言をしていました。それが現在では様変わりして、どんな人でも公式の席では人種差別的な発言は許されなくなっています。
この人種差別撤廃に大変な貢献をしたのが日本なのです。「あらゆる形態の人種差別撤廃」条約が結ばれるまでの過程を簡単に説明しましょう。

1492年は、コロンブスのいわゆるアメリカ大陸発見の年です。その後の450年間は、白人国家による有色人種国家の侵略です。その間白人にとって有色人種は、差別と搾取と憎悪の対象でした。
この450年間の最後に近い1904年の日露戦争と1940年の大東亜戦争は、異色な戦争です。
なんで異色かと言えば、この二つの戦争は、有色人種国家、日本による白人大国への武力挑戦だからです。
それまでにも有色人種国家の白人国家への武力抵抗はありましたが、いずれも白人国家に鎮圧され、有色人種国家や世界になんら影響を与えることはありませんでした。
日露戦争が起きたその頃、世界の有色人種国家のほとんどが、白人に侵略され、彼らの植民地になっていました。
有色人種国家で独立を保っていたのは、日本、タイ、エチオピアなど五本の指に満たないものでした。
満州に武力進出してきたロシアに、日本は大変な脅威を感じた。満州が支配されると朝鮮が必ず支配されると、日本は乾坤一擲の勝負に出た。世界中の国々が、日本みたいな小国が、ロシアのような大国に勝てるわけがないと考えていた。

アメリカも当然日本が負けるだろうと予想していましたから日本に同情していました。
ところが日本が勝ってしまったのです。
当時日本はイギリスと日英同盟を結んでいました。当時の情報の発信地は、ロンドンです。
ロンドンから日露戦争の詳細が世界中に伝えられた。日本軍の強さが伝えられ、日本海海戦にいたっては日本海軍の完璧な勝利が伝わると世界中に大変な反響を巻きおこしました。
欧米の白人国家は、自分たち一国だけでも当時の大国、ロシアと戦争してもひょっとしたら勝つのがむずかしいかなぐらいに思っていたのに、小国、しかも有色人種の国、日本が勝った。

そのことが日本への脅威が強まり黄禍論の勢いが強まりました。
アメリカでは日本を仮想敵国にしたてあげ、日本人移民に対する差別政策が強化され、人種的憎悪の目がさらに強くなっていった。
一方白人国家の植民地になっていた有色人種国家にとって日本は、希望の星になり彼らに刺激を与えることになりました。
各国で独立運動が芽生え、また強化されていった。

中国からは日本への留学生が一気に増加した。
インドの独立の父と言われた、ネール首相は、「ネール自伝」の中でこう書いています。
「もう一つの重要な出来事で私に影響をおよぼしたものとして忘れることが出来ないのは日露戦争である。日本の戦勝は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日新聞を待ち焦がれた。相当の金をかけて日本に関する書籍を買い込んで読もうとつとめた。ところが日本の歴史では面食らった感じだが、昔の日本武士道の物語、それから小泉八雲の楽しい散文は大好きだった。私の頭はナショナリスチックの意識で一杯になった。インドをヨーロッパの隷属から、アジアをヨーロッパの隷属から救い出すことに思いを馳せた。
さらに想いはほとばしり、私が剣をとってインドのために闘い、インド解放の一助けたらんと英雄的行為を夢みるのだった」

数百年にわたって白人に支配されてきた有色人種にとって、白人には絶対に勝てないという「神話」ができあがっていました。
その「神話」を有色人種である日本が打ち砕いたのです。
世界中の有色人種にとって、またフィンランドやポーランドのようにロシアにいじめられていた白人国家にとっても、日本勝利は快挙だったのです。
日露戦争後10年たらずで第一次世界大戦が起きました。
この戦争は、ヨーロッパ内部の白人どうしの戦争でした。
日英同盟のよしみもあってイギリスは、日本の参戦を望みました。
日本は参戦を決意、ドイツと戦いました。ドイツの敗戦によって戦争は終結した。
日本は、イギリス、フランス、アメリカなどと戦勝国の一員でした。
この第一次大戦は、ヨーロッパが戦場でしたから、アメリカと日本は本国への影響はなく、却って日本は漁夫の利を得、国力が発展。
大戦後日本は、大国としての地位がさらに強固になりました。

大戦終了後、色々な問題を討議するために1919年パリ講和会議が開かれました。
日本はこの会議に出席する前から、「人種差別撤廃条約」の締結を議題にのせることを公約にしていました。
何故なら現実に日本人がアメリカで人種差別と憎悪の対象になっていたからです。

全米黒人地位向上協会の創立に貢献したデュボイスら黒人代表者は、日本全権団がパリに到着すると、早速日本全権団を訪ね、世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくすことに尽力してほしいという嘆願書を提出しています。
アメリカの黒人代表者たちは、アメリカ代表団を尋ねようとせず、日本代表団を訪れて人種平等の嘆願書を出したということは、彼らはすでにアメリカ政府に絶望していることを意味しています。
パリ講和会議には、黒人代表者など出席できません。当時アジア、アフリカ、中南米の有色人種国家の中で日本だけが「人種差別撤廃案」を提出できる力を持っていたのです。
「人種差別撤廃案」が会議上に提案され、討議が始まりました。
さっそく全米黒人新聞協会は、次のようなコメントを発表しています。
「われわれ黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を闘わせている日本に、最大の敬意を払うものである。全米1200万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」
「人種差別撤廃案」に強行に反対したのは、現在人権先進国づらしているアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどでした。
日本は反対国に受け入れられるように字句の修正などしましたが全然受け入れられません。
日本は票決に持ちこもうとしました。しかしこの時の会議の議長は、アメリカのウィルソン大統領でした。彼は長い演説をして事態を沈静化させ票決なしですませようとしました。
しかし日本のしぶとい交渉が功を奏し票決が決定、投票の結果合計16票中11票が日本案に賛成、反対5票の多数決で日本案が採決されたのです。
この時ウィルソン大統領は、このような重要な問題は全員の賛成が必要だと、この票決を無効にしてしまった。
それまでの会議は、すべて多数決で決定されていたにもかかわらず。

ところでオバマ大統領初め現在のアメリカ黒人は、このようなことを学校教育で教えられ知っているのでしょうか。
ウィルソン議長の特権で、「人種差別撤廃案」を無効にしたが、採決の結果負けたことは、アメリカにとって大変なショックだったでしょう。
アメリカは移民でできた大国です。
インディアンから土地を奪い、彼らを僻地に押し込め、黒人を奴隷にして発展してきた国です。
当時アメリカは、日本以外のアジアの国々からの移民を禁止してしまいました。
ここで人種差別撤廃が実現すると、インディアン、黒人と平等になり、アジアから大挙して移民が押し寄せてくると、アメリカという国の文化、すなわち白人文化が破壊されることになりかねなません。

当時の上院議員、J.D.フィランは
「アジア人に平等権を適用すれば、われわれ自身の国民的生存を危機に陥れ、西欧文明を破壊することになる」
と表明しています。
ここでアメリカは、「人種差別撤廃案」など提案した日本などつぶしてしまわなければ、アメリカという国の存在の危機になる。
その上日本はアメリカがほしがる中国市場にとって邪魔な存在。

こうして日本は、アメリカにとっていずれつぶしてしまわなければならい国になったのです。

このように考えるとこれ以後の日本に対するアメリカの外交政策がよく理解できます。
パリ講和会議二年後の1921年に日、米、英、仏、中など九カ国が集まってワシントン会議が開かれた。
私がいつも主張する、「うぶでバカでお人好し」の日本外交は、完全にアメリカに丸めこまれ、中国における日本の権益の大幅な譲歩など、アメリカの外交の大勝利に終わっています。

そしてあの悪名高い「排日移民法」が1924年に制定されたのです。

それまでにアメリカは、日本を除くアジアの国々からの移民を禁止していました。
しかし日本は大国なので他のアジアの国々と同列に扱うことができず、日本からの移民が許可されていました。
しかしアメリカにいる日本人は、白人の差別や憎悪の対象でした。
とくに日本移民の農地に関して様々な制限を設けた法律が次々と可決されていきました。
そしてとうとう1924年に、正式に日本人は「帰化不能民族」のレッテルを貼られ、アメリカへの移民が禁止されたのです。

当時の日本人は、現在の日本人と違って非常に誇りが高かった。
日本人であることに特別の誇りを持っていた。だから日本国内では反米感情が一気にふくれあがったのです。
昭和天皇は、この排日移民法を大東亜戦争の原因の一つに上げています。
私も同感です。1941年に大東亜戦争が勃発しましたが、その前に日本を含む全アジアの人々は、アメリカ、カナダ、オ−ストラリア、ニュージーランドへの移民は禁止されていたのです。

ここで私たちが忘れてならないのは、私たちが戦争に突入した時のアメリカは、人種差別政策を国策にしていたことです。

大東亜戦争勃発後の六ヶ月間の日本軍の快進撃がすごかった。
大東亜戦争は、日本の敗北に終わったが、開始の六ヶ月間の快進撃とその後の半年あまりの東南アジア支配が、戦争を意義あるものにしたのです。
六ヶ月間のうちに日本軍は、全東南アジア地域から白人を全部追っ払ってしまったのです。
アジアの人たちは、日露戦争で日本が勝ったのを知っています。日本に勇気付けられたことも確かです。
しかし日露戦争の戦場は満州であり、日本海海上です。日本の戦いぶりは新聞で読んだだけです。
しかし大東亜戦争の場合は違います。アジアの人たちは、自分の目で日本軍兵士の戦いぶりを見たのです。
自分たちを二、三百年以上支配してきた白人、自分たちには絶対に勝てないと思いこんでいた白人を、自分たちと同じ背格好の日本人が、徹底的に白人兵をやっつけているのです。
彼らを見下していた白人兵が、捕虜になって日本軍の命令に従順に従っているのです。
「一見は百聞にしかず」といいますが、日本人が出来て、自分たちにできないはずがないと考えるのは当然の結果です。

このため戦後アジアから独立国が続々と誕生した。
例えばフィリピンの場合を見てみましょう。
戦争中日本軍は、フィリピンを支配していたアメリカ軍全軍を追っ払い、フィリピンを独立国にしました。その後アメリカ軍は、反撃し逆に日本軍全軍をフィリピンから追い出した。
日本がフィリピンを独立させた以上、アメリカがまた植民地にするわけにきません。
そこでアメリカは、日本がフィリピンを独立させたのではなく、アメリカがフィリピンを独立させたことにしたのです。

東南アジアの国々の独立、その波及がアフリカ、中近東へと広がりを見せました。
独立国の数字の動きを見てみましょう。1945年、終戦の年に国連が誕生しました。
その時加盟が承認されたのが51ヵ国でした。アジアから3ヵ国、アフリカからも3ヵ国、中近東は7ヵ国、残りは全部ソ連を含むヨーロッパ、南北アメリカと白人の英連邦諸国でした。
これでは過去数世紀と同様に将来も白人の世界が続くと思った。

ところがその後の10年間に25の新国家が加盟、1965年までにさらに41ヵ国が加わり加盟国は117ヵ国になったのです。
それでは戦後直後のアメリカの人種差別政策はどうのなったのか。
終戦後もアジアからの移民は禁止されたままです。

終戦後アメリカの日本占領軍は、日本に民主主義政治を教えたことになっていますが、アメリカ本国では、黒人は相変わらず差別と憎悪の対象であった。投票権も事実上与えられず、投票権を持っていても行使することもできないのです。
このことがアメリカは外交面で非常に不利になっていました。

なぜなら戦後長い間、ソ連が崩壊するまで、米ソ冷戦構造と言って世界が大国米ソ両陣営に分かれてお互いに勢力範囲を広げていました。
ソ連は、アメリカ国内の黒人に対する人種差別を指摘して対外宣伝に徹底的に利用しました。
アジア、アフリカから沢山の独立国が誕生した結果、多くの有色人種の外交官がニューヨークの国連に訪れます。
そのときアメリカの人種差別の実態を体験します。
ケネディー政権時代のラスク国務長官が
「1960年代の外交関係で我々が背負っている唯一最大の重荷は人種差別問題だった」
と白状しています。

1950年代にアメリカで黒人の公民権運動がはじまりました。
教育、雇用、住居、選挙などあらゆる分野において白人と同等の権利の保障を要求する運動です。
紆余曲折を得て1964年に公民権法が成立。ここに初めてアメリカの黒人は、法的にあらゆる差別から解放されたのです。
終戦後20年近く経ってアメリカは完全な民主主義国家になったのです。
こうして大国、アメリカが人種差別国家でなくなった翌年、1965年に国連総会で人種差別撤廃条約が採決されました。
賛成89、反対0、棄権17で可決された。この同じ年に、アメリカは、アジアからの移民禁止を解除しました。

これまでの文章を要約しますと、コロンブスやマゼランが活躍した時代を世界史では、「大航海時代」と読んでいます。
これはまさに白人側の呼び名であって、有色人種側から呼べばまさに「大侵略時代」と言えます。
この「大航海時代」が17世紀半ば頃に終わるのですが、その時すでにほとんど有色人種の国は、白人国家の植民地なっていました。
日露戦争の時には、ほとんどの有色人種国家が白人国家の植民地になって二、三百年経っていたのです。

歴史を振り返れば、この日露戦争で日本が負ければ、世界は支配する白人と支配される有色人種に差別された世界になるかの分岐点でした。
日本が勝ったからこそ人種差別撤廃の可能性への道を開いたことになるのです。

第一次大戦後のパリ講和会議での日本の人種差別撤廃案の提出、討議、賛成多数を得た採決、議長の特権による採決無効。まさに人種差別撤廃に向けた貴重な第一歩でした。

そして大東亜戦争の勃発。

半藤一利氏は、大東亜戦争の意義など認めませんが、とんでもない主張です。
もし大東亜戦争で植民地体制を残したままあっさり敗れたら、意義のない戦争になってしまったでしょう。
初戦の快進撃で植民地体制を破壊し一時的にせよ東南アジア全体を支配したということがどれだけ意義のある戦争だったか測り知れないものがあります。
その意義の一つが続々と出現した有色人種国家の独立です。
彼らは数百年にわたって白人に支配されていたのです。
彼らの存在が人種差別撤廃にむけての大変な力になったか容易に想像つくでしょう。

人種差別撤廃条約が結ばれ、現在では人種平等ということは世界の常識になってさえいます。
それまでの歴史を振り返るとき、日本の貢献の大きさを抜きに語ることはできません。
欧米諸国は、「人種差別撤廃」などで日本など誉めたくありません、自分たちの過去の汚点を語らなくてはならなくなるからです。

韓国や中国は、日本の価値など一切認めようとしません。我々日本人がこの点を世界に向かって堂々と語らなくてどうするのですか。
また私たちの子供に誇りを持って語らなくてどうするのですか。

自虐史観をつめこまれている若い人たちに言いたい、このブログに納得したら、ぜひこの文章をコピーするなり、あるいは自分のブログに転載するなりして利用していただきたい。

日露戦争と大東亜戦争ほど、世界全体の人類に貢献した戦争はありません。
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   【転載】ここまで

(改行、文章の強調その他は管理人の独断です。ご了承ください。)